
詳しい創立の時期は不明ですが、元禄16年(1703)や享保17年(1732)の同寺の什物の仏画があることから、江戸時代の半ばには既に存在していたと思われます。
▼阿弥陀如来坐像(本尊):1躯
江戸時代の作です。
▼薬師如来坐像(薬師堂本尊):1躯
室町時代のものと思われます。
▼地蔵菩薩立像(薬師堂安置):1躯
江戸時代の作と思われます。
▼梵鐘(京都府指定文化財):1口
応長2年(1312)の刻銘があります。それによると、ここから近くにある字山田の医(伊)王寺(現在は廃絶)に、僧定意が願主となって寄進したもので、鎌倉時代にさかのぼる梵鐘の一例として貴重です。
このほか、仏涅槃図は安永8年(1779)と昭和4年の修理銘から、元禄16年(1703)の製作と判るもので、阿弥陀二十五菩薩来迎図には享保17年(1732)の裏書があります。
<所在地>
精華町大字柘榴小字垣内71番地




