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祝園神社(ほうそのじんじゃ)

[2011年6月1日]

 社記によれば、崇神天皇の時代に、この地で討伐された武埴安彦(たけはにやすひこ)の亡魂が鬼神となって柞ノ森(ははそのもり)に止まり、人々を悩ませていました。これを鎮めるため、春日大明神を勧請して創立されたのが同神社であるといわれています。現在に伝わる「いごもり祭」も、この時の斎戒沐浴(さいかいもくよく)しての祈願に始まるといわれています。

 文献では「新抄格勅符抄」に「祝園神」の名が見えるのが最古であり、少なくとも、奈良時代には確実に存在していたと思われます。その後「延喜式」神名帳、「三代実録」に名が見え、嘉吉元年(1441)に書かれた「興福寺官務牒疏」には在僧2人、祝主3人、神人3人がいたことが記されています。

▼棟札

  現存する棟札は、江戸時代のもの6点ですが、「当社度々造営日記」(木札)と文政7年(1824)の棟札写(木札)を総合すると、合計18回の造営・修理の事実を復元することができました。ただし、そのうちの1回、安永5年(1776)の分は「祝園森薬師寺」という寺の再建です。再建にあたって、水難を避けるため、6尺の地上げをしたことが書かれています。

  正徳3年(1713)の棟札は、前年8月19日に「前代未聞」の大洪水に見舞われ、社殿が大破したことを伝えています。この大洪水は、木津川周辺の村々に大きな被害をもたらしました。今も地元の人々から、「正徳の水害の時に」という言葉が出るほど、語り継がれてきた災害でした。同神社の棟札は、洪水の記録や、地上げの記録を含み、木津川周辺の村の歴史をしのばせてくれる点で興味深いものです。

 

<所在地>

 精華町大字祝園小字柞ノ森1番地

 

祝園神社
拝殿
武埴安彦破斬旧跡

問い合わせ

教育部 生涯学習課

電話: 0774-95-1907 ファックス: 0774-94-5176