駅から南西の方角に鞍岡山という小高い丘があり、その丘の下に「僧坊」という集落が広がっています。鉄道や府道に平行する集落内の路地を南に向かって歩いて行きます。
いくつかの大きな屋敷の家や旧家の前を通り、南行すると路地の突き当り50m程手前に左に入る小さな袋小路があり、突き当りにはお寺の山門が。ここが
若王寺に続いて次に鞍岡山の方に向かいます。若王寺の山門を出て集落内の南北の路地を突き当りまで南行し、西に折れると鳥居と階段が。鳥居の前の参道の両脇には今は旧家が少し残っているが以前は家並みの景観が見事だったようです。参道の先にある170段余りのかなり険しい階段を上るとそこは鞍岡山の峰。実は、この階段、近くの体育会系学生が体を鍛えるのに利用しているとのこと。階段を上がりきり、右手に行くと鞍岡神社の社殿があり、左手の参道の先には鞍岡山古墳群の1号墳が現れます。鞍岡山の森は駅近くにも関わらず珍しい鳥や木々に生息する虫たちも多く自然豊かに鎮守の森が保たれているのが体感できます。精華町の北端エリアのオアシスといったところでしょうか。
「僧坊」にはその名にふさわしく集落内に寺院が幾つもある訳ではなく、今唯一残っているのは若王寺だけです。まさに地域のお寺、檀家100軒余りの浄土宗西山禅林寺(永観堂)派のお寺です。そんな小さなお寺ですが、本堂右脇のお堂には、国の重要文化財に指定されている智証大師円珍の坐像が安置されているのです。
円珍は平安時代中期の弘仁5(814)年讃岐に生まれ、後に比叡山延暦寺の第5世天台
円珍没後100年余りして、延暦寺第3世天台
現在、三井寺には円珍の等身大の坐像が二つあり共に国宝に指定されています。そのうちの一つ、
ちなみに、平安時代から鎌倉時代にかけて狛の僧正、狛の法親王等と狛と名の付く皇族や貴族が何人かいますが、この人たちはこの下狛の地と何らかの関わりがあった人たちかもしれません。時代は下りますが、江戸時代の『山城名跡巡行志』には「若王寺の北の田に円満院塔という五輪塔が建っていて
鞍岡神社のご祭神は、京都北野天満宮から勧請された菅原道真公です。学問の神様でもあり、毎年地域の入学式前には入学祈願祭や、正月には書初め祭が行われます。拝殿の前には能舞台があり、その傍にはご神木のおがたまの木があります。この神社の拝殿や本殿の建物の脇から裏の方へ回ってみると、本殿の建っているところが少し盛り上がっています。何と本殿は鞍岡山古墳群の4号墳の上に建てられたという大変珍しい神社なのです。
鞍岡山古墳群は4基の古墳からなり、古墳時代前期末から後期にかけて築造されたもので、2号墳・3号墳は学研都市の開発地にあったため発掘調査をした後取り壊されました。
1号墳は、唯一全体の姿を見ることが出来る状態が残る古墳で、小中学生の地域学習の教材に最適です。3号墳は葺石におおわれ、80本程の円筒埴輪が出土し、円筒埴輪の一部に舟型の模様が刻まれているものが見つかりました。また、鉄製の武具類のほか、石でかたどった剣や玉のアクセサリーなどの珍しい副葬品が出土した立派な古墳です。
みなさん、ぜひ精華町北の端、はるか歴史のロマン散歩にお出かけください!
結婚後、木津川対岸の山城町から狛田駅東(僧坊地区の一部)に移住。夫婦2人住まい。会社退職後、地元の方との交流を通じ、沢山の精華町の良さを知り、今では精華町が魅力一杯のまちであることを町民の皆さんにご紹介する日々。
鞍岡山3号墳から出土した
会場 | 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市 |
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会期 | 令和6年10月5日(土)~12月1日(日)※休館日あり |
開館時間 | 9時~17時(入館は16時30分まで) |
備考 | ◯休館日・入館料などの詳細は同館ホームページでご確認ください。 ※都合により、内容が変更となる場合があります。 |
WEB | https://www.kashikoken.jp/museum/ |
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※上の写真は2023年度町民の皆様から送って頂いた「みつけた(みつける)町の風景」の写真です。