Seika Town Kyoto
知っているようで知らない精華町
その魅力を再発見するWEBマガジン
08 | August 2024

精華町北端 重要文化財と古墳群に驚く!

精華町は近鉄・JR・府道が町内を南北に走っています。今回はその北の端の駅、近鉄狛田こまだ駅・JR下狛しもこま駅の周辺の南西部分を紹介します。

若王寺と鞍岡山古墳・鞍岡神社

「僧坊」と呼ばれてきた集落を歩き、鞍岡山に登ってみよう

鞍岡山とその前に広がる僧坊の集落

 駅から南西の方角に鞍岡山という小高い丘があり、その丘の下に「僧坊」という集落が広がっています。鉄道や府道に平行する集落内の路地を南に向かって歩いて行きます。  いくつかの大きな屋敷の家や旧家の前を通り、南行すると路地の突き当り50m程手前に左に入る小さな袋小路があり、突き当りにはお寺の山門が。ここが若王寺にゃくおうじ

若王寺の山門

 若王寺に続いて次に鞍岡山の方に向かいます。若王寺の山門を出て集落内の南北の路地を突き当りまで南行し、西に折れると鳥居と階段が。鳥居の前の参道の両脇には今は旧家が少し残っているが以前は家並みの景観が見事だったようです。参道の先にある170段余りのかなり険しい階段を上るとそこは鞍岡山の峰。実は、この階段、近くの体育会系学生が体を鍛えるのに利用しているとのこと。階段を上がりきり、右手に行くと鞍岡神社の社殿があり、左手の参道の先には鞍岡山古墳群の1号墳が現れます。鞍岡山の森は駅近くにも関わらず珍しい鳥や木々に生息する虫たちも多く自然豊かに鎮守の森が保たれているのが体感できます。精華町の北端エリアのオアシスといったところでしょうか。

鞍岡神社の階段登り口にある一の鳥居
学生も体を鍛える
170段余りの階段

三井寺の高僧像がなぜ「僧坊」の地にあるのか

御骨大師の模刻像
(国の重要文化財)
本堂(左)と大師堂(右)

 「僧坊」にはその名にふさわしく集落内に寺院が幾つもある訳ではなく、今唯一残っているのは若王寺だけです。まさに地域のお寺、檀家100軒余りの浄土宗西山禅林寺(永観堂)派のお寺です。そんな小さなお寺ですが、本堂右脇のお堂には、国の重要文化財に指定されている智証大師円珍の坐像が安置されているのです。

 円珍は平安時代中期の弘仁5(814)年讃岐に生まれ、後に比叡山延暦寺の第5世天台座主ざす(最も偉いお坊さん)となり、また滋賀県大津市の三井寺の中興の祖でもありました。では何故、延暦寺や三井寺など天台宗の高僧であった円珍の坐像がこの地に残っているのでしょうか。

 円珍没後100年余りして、延暦寺第3世天台座主ざす円仁の弟子(山門派)と、円珍の弟子(寺門派)の間で対立が起こり寺門派の僧たちは正暦しょうりゃく4(993)年に延暦寺から三井寺に下山しました。その後数百年の間、山門・寺門両派で激しい抗争を繰り返します。

本尊の阿弥陀如来坐像(町指定文化財)

 現在、三井寺には円珍の等身大の坐像が二つあり共に国宝に指定されています。そのうちの一つ、御骨大師おこつだいしと呼ばれる坐像を模刻したのが若王寺の像です。時は両派の抗争の最中、そこでこの大切な坐像に万一のことがあっても支障なきようにともう一つ模刻し、下狛の地に安置したのかもしれません。模刻像の作られた正確な事情やその後の経緯ははっきりしませんが、1000年あまりにわたって地元の人たちによって大切に守り伝えられてきました。

永観堂から譲り受けたという梵鐘
大師堂前の檀上住職

 ちなみに、平安時代から鎌倉時代にかけて狛の僧正、狛の法親王等と狛と名の付く皇族や貴族が何人かいますが、この人たちはこの下狛の地と何らかの関わりがあった人たちかもしれません。時代は下りますが、江戸時代の『山城名跡巡行志』には「若王寺の北の田に円満院塔という五輪塔が建っていて尊恵法親王そんえほっしんのう(1164~1192、二条天皇の皇子)の墓である」と記されています。ここ下狛は平安時代には京の都から皇族や貴族が仏門の修行に来ていた地なのでしょうか。想像が膨らみます。

古墳が神社へと移り変わった

江戸時代には鞍岡山天満宮と呼ばれた
 
鞍岡神社の境内には
御神牛ごしんぎゅう
安置されています

 鞍岡神社のご祭神は、京都北野天満宮から勧請された菅原道真公です。学問の神様でもあり、毎年地域の入学式前には入学祈願祭や、正月には書初め祭が行われます。拝殿の前には能舞台があり、その傍にはご神木のおがたまの木があります。この神社の拝殿や本殿の建物の脇から裏の方へ回ってみると、本殿の建っているところが少し盛り上がっています。何と本殿は鞍岡山古墳群の4号墳の上に建てられたという大変珍しい神社なのです。

裏へ回ると古墳上に本殿が建っているのが判る

 鞍岡山古墳群は4基の古墳からなり、古墳時代前期末から後期にかけて築造されたもので、2号墳・3号墳は学研都市の開発地にあったため発掘調査をした後取り壊されました。

 1号墳は、唯一全体の姿を見ることが出来る状態が残る古墳で、小中学生の地域学習の教材に最適です。3号墳は葺石におおわれ、80本程の円筒埴輪が出土し、円筒埴輪の一部に舟型の模様が刻まれているものが見つかりました。また、鉄製の武具類のほか、石でかたどった剣や玉のアクセサリーなどの珍しい副葬品が出土した立派な古墳です。

地表に出た木の根、
自然豊かな鎮守の森
遥拝所(天照大神)の先は
30年前頃まで見晴らしが良かった
 

 みなさん、ぜひ精華町北の端、はるか歴史のロマン散歩にお出かけください!

精華町民ライター
プロフィール

古瀬 治男Haruo Furuse

結婚後、木津川対岸の山城町から狛田駅東(僧坊地区の一部)に移住。夫婦2人住まい。会社退職後、地元の方との交流を通じ、沢山の精華町の良さを知り、今では精華町が魅力一杯のまちであることを町民の皆さんにご紹介する日々。

秋季特別展「甲冑 -古墳時代の武威と技術-」

鞍岡山3号墳から出土した短甲たんこうと呼ばれる古代のよろいが、この秋、展覧会に出品される予定です。

会場奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市畝傍町うねびちょう
会期令和6年10月5日(土)~12月1日(日)※休館日あり
開館時間9時~17時(入館は16時30分まで)
備考◯休館日・入館料などの詳細は同館ホームページでご確認ください。
※都合により、内容が変更となる場合があります。
WEBhttps://www.kashikoken.jp/museum/

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