Seika Town Kyoto
知っているようで知らない精華町
その魅力を再発見するWEBマガジン
写真/東畑北ノ下集落入口付近の風景
10 | October 2025

東畑地区の歴史と今

かつては山間僻地の集落、独自に築いた文化も残る「東畑」。学研都市の誕生で東畑の周辺は大きく変わりましたが東畑は大きくは変わらず、その景観を今に伝えます。それでもいろんな変化がありました。

かつては「狐狸こりさと」でした!

 私は東畑に生まれ育って80年余、生粋きっすい土着の東畑人です。かつての東畑を思い起こすとき、今では懐かしい思い出があります。1972年(昭和47年)、父のお通夜にお参りいただいた私の上司が祝園駅からタクシーに乗り、真っ暗闇の山道を奥へ奥へと進むのに不安を覚え、運転手さんに「本当にこの先に集落があるのですか?」と聞かれたそうです。それ以来、職場では私の住処すみかを「狐狸の啼く郷」と言われました。
 学研都市構想が実現に向けて動き出したのはそれからしばらくしてのことです。

まだ精華町の開発がされていない1985年の地図からは、一面が田んぼや山林だった様子がうかがえます。
2025年の地図は、開発によるけいはんな学研都市の誕生後の地図です。学研都市の誕生で東畑の周辺は大きく変わりましたが東畑は大きくは変わらず、その景観を今に伝えます。それでもいろんな変化がありました。

けいはんな学研都市誕生!

 開発の工事が始まった頃、私はその地域を通り抜けて職場へ通っていました。期間中、開発現場は高い遮蔽物(草木)で覆われて何も見えず、時折通路が変更されることで工事が進んでいるのだな、と思いました。数年経って、その覆いが除かれたときは目を見張りました。かつて存在した山々や急な峠道も棚田も溜池も、すべて一面の平地に様変わりしていました。
 その後、けいはんな学研都市の誕生は東畑にもいろいろな変化をもたらします。

東畑集会所について

 東畑地区の中心に集会所があります。そこにはかつて「山田荘やまだしょう小学校東畑分校」がありました。明治時代に創設され、長らく小学4年生までは東畑分校で学び、5年生からは3~4㎞離れた乾谷地区にある本校まで、自転車または徒歩通学でした。1993年(平成5年)、光台に創立された「東光ひがしひかり(東畑と光台の頭文字をとって命名)小学校」の開校と同時に分校は廃校になり、全学年が徒歩で通学できるようになりました。

①向かう斜面に人家が点在

 集会所から「南の谷」の道を鳥谷池方面に向かいます。少し上り坂ですが、向かう方向の斜面には家が点在して見えます。里山らしい光景だといわれますが…?

②右手に専光寺の石垣がそびえてみえ

 府道を横切り、かつての造り酒屋の前を過ぎると、右手にお城のような高い石垣がみえます。専光寺の石垣です。見上げると、よく崩れないなあ!と感心します。

③坂を上り切った所が鳥谷池!

 さらに続く坂道を上りきると、目の前に鳥谷池が広がります。農業用溜池ですが、少しでも多くの田に行きわたるようにと、村の最も高い場所に大きな池をつくられた先人の苦労が偲ばれます。
 この池は最近になって風光面でも注目されるようになりました。特に、池の向かい側の側道(旧四条畷街道)から眺める景色が素晴らしく、池の水面に映る嶽山だけやまの姿や四季折々の池の表情に田舎ならではの風情が感じられます。
 また、鳥谷池は奈良県生駒市と京田辺市の境界に近く、府県境、市町村境の標識がそれぞれすぐ見えるところに建っています。

④いざ、嶽山だけやまへ!

 嶽山は精華町の最も西端に位置し、標高は259.5メートル、町内で最も高い山です。頂上へ登るには三つのルートがあります。
 嶽山の頂上からは、眼下に精華町の町並みや木津川、さらに対岸の山並みが望め、南の方に目を向けると若草山などが一望できます。(最近は竹などが邪魔していますが)頂上には京田辺市の打田と東畑の行者像が少し離れた位置にあります。
 三つの登山ルートのうちよく利用されるのは南東側です。その急斜面を降りたところに「わくわく嶽山広場」があり、イベントが催されたり、若草山の山焼きを遠くに見ることもできる場所です。

⑤真宗大谷派「専光寺」到着

 嶽山のすぐ下が専光寺で、東畑地区唯一のお寺です。創建は中世(平安末期)と言われ、東畑の集落もその頃にできたのでは?と思われます。
 門をくぐると先ず目につくのは広くて大きな屋根の本堂で、京都府暫定登録文化財に登録されています。本堂内に入ると、内陣中央に「阿弥陀如来立像」が、両脇の余間には親鸞聖人を初めとした掛軸が掛けられています。また、江戸時代後期の作とみられる鶴図(2面)と孔雀図(4面)の襖絵があります。
 境内は高い石垣の上にあり、塀越しに遠景が一望できます。また、本堂の裏側は急な斜面になっていて、岩肌を生かした大きい庭園がつくられています。

⑥東畑神社はお寺からすぐ近くです!

 専光寺からは徒歩2、3分で東畑神社の西の鳥居が見えます。正面の鳥居は東側にあり、くぐると急な石段で、それを上った先が境内です。専光寺と同様、嶽山の麓につくられています。
 東畑地区は湧き水の少ないところですが、嶽山周辺からは今も山水が湧いています。そんなところに神社・寺院が建っています。  神社の境内からの眺めは専光寺とはガラっと変わります。二つの尾根に挟まれるように30軒ほどの家が建っています。「北ノ谷」地区です。

⑦気の毒な「かやの樹」について

 東畑神社のすぐ下に、老木の榧の樹が1本あります。樹齢300年はするだろうと思われます。
 今から50年くらい前までは家の屋根の2倍くらいの高さまで、青々とこんもり茂っていました。その頃、この木の側に新しい道がつくられ根の一部を切ることになりました。そして、それから少しずつ少しずつ元気をなくしていきました。どうしてそのとき、ちゃんと樹を守ろうとしなかったのか!が悔やまれます。

蟹満池かにまいけから夜泣き地蔵へ

 蟹満池は東畑地区のもう一つの溜池です。こちらは地区の北側で、鳥谷池と比べて格段に小さく、谷あいにあります。
 この池の堤を通り越し、坂道を上がったところに夜泣き地蔵がいます。霊験れいげんがあるのか、古くから良く知られ大事にされています。

⑨「北ノ下」の棚田を経て、出発点の集会所に到着

 蟹満池の堤から見下ろす景色が「棚田のよう!」とは、ふるさと案内人の会のS氏の弁。ささやかな棚田と言えるでしょうか?
 そこから府道に出ると、間もなく出発点の集会所に戻ります。

◯最後に

 いち東畑住民として、以前は山深い辺鄙へんぴな地域だと思ってきました。けいはんな学研都市の誕生で、この地域に新旧住民の文化の交流が生まれました。それは当初予想もしなかった嬉しい展開です。今後がとても楽しみです。

精華町民ライター
プロフィール

前田 眞千代Machiyo Maeda

退職後、町の歴史や文化財等に興味を持ち始めました。健康には歩くことが大事だと、4、5年前から孫の朝の登校に一緒に歩いています。
◯精華町文化財愛護会副会長
◯NPO法人精華町ふるさと案内人の会

みつける連動企画 第126回 せいか小さな旅!大人も子どもも、東畑で秋を満喫

11/2 「嶽山登山or芋掘り&収穫祭」

ふるさと案内人の会・みんなの元気塾・東畑集落営農組合・おーぷんせさみの合同企画
  • ①嶽山登山コース(約3,5㎞)
  • ②芋 掘 りコース(約1㎞)
  • ③「秋の収穫祭/秋の味覚マルシェ」を楽しもう!

収穫祭【秋の味覚マルシェ】東畑集落営農組合の野菜・米・柿・花等の販売。元気塾の焼き芋販売・ 釜炊きキノコ飯、蒸しパン、カフェ出店、手芸品販売。おーぷんせさみのお菓子・手芸品小物類の販売。 【お楽しみエンターテイメント】プロが教える!ストレッチ体操・ちびっこかけっこ教室・大道芸人ゆーぽんによるパフォーマンス・光台の小学生によるストリートダンス。

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