旧陸軍軍用鉄道鉄橋

僧坊地区を流れる煤谷川(すすたにがわ)には、かつて旧陸軍軍用鉄道・川西側線(かわにしそくせん)の鉄橋がかかっていました。

鉄橋は長さ約17メートル、幅約1.4メートル。コンクリート製の橋台と橋脚2基に、鉄製の橋げた3連が架かる構造でした。

川西側線は、太平洋戦争開戦の昭和16(1941)年に建設されたもので、陸軍祝園部隊(現・陸上自衛隊関西補給処祝園弾薬支処)と片町線(現・JR学研都市線)とを結んでいました。総延長は4322メートル。片町線の三山木信号場(現在の下狛駅の北)から分岐して南下し、煤谷川をこの鉄橋で渡り、現在の町道僧坊・旭線に平行して、南西の祝園部隊へと至っていました。

祝園部隊は日本の敗戦に伴い、占領軍の弾薬庫となりました。昭和25年に朝鮮戦争が始まると、朝鮮半島の戦場へ補給するための弾薬類が運ばれていきました。その後、日本政府に返還され自衛隊に移管。川西側線による弾薬類の輸送は行われなくなり、廃線となりました。 線路はほとんどが撤去されたものの鉄橋は現代まで残されてきましたが、橋脚が治水の障害となることから、煤谷川の護岸工事に伴い平成19年6月に撤去されました。

現在は鉄橋跡地(僧坊区)の両岸に説明板が設置され、南岸の説明板下には橋げたの一部が保存されています。  

鉄橋
南岸に設置されている説明板と橋桁の一部

南岸に設置されている説明板と橋桁の一部

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更新日:2019年03月15日