精華町域の「木津川の渡し」

木津川に橋が架かっていなかった時代、対岸へ渡るための「渡し(舟)」がありました。

精華町での木津川の渡し(舟)は上流(南部)から順に
菅井(すがい)の渡し』(上狛~菅井)
(ひらき)の渡し』(平尾~祝園)
(やぶ)の渡し』(藪浜(綺田)~舟(下狛))
の三か所があったと伝わっています。

渡し(舟)には、街道にある「往来渡し舟」と、農民が川向いの田畑を耕作するために利用する「耕作通い船」とがあったようです。藪の渡しは「往来渡し舟」、菅井の渡しと開の渡しは「耕作通い船」の機能が高かったと考えられています。

藪の渡しは、奈良街道の綺田から西に分かれ、藪の浜から対岸の下狛地区へ舟で渡り、郡山街道に結んでいました。木津川東西両岸の主たる街道を短絡する渡し(舟)として、郡山藩の参勤交代にも利用されるなど大勢の旅行者でにぎわっていたと想像できます。

菅井は精華町で唯一、近世船問屋が確認されている水運の浜でした。

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更新日:2019年03月15日