中世のころの道「東路」と「西路」

中世のころ、精華町周辺には「東路」と「西路」という主要路が通っていました。

東路

京都と奈良とを結ぶ木津川東岸の街道で、中世の基本的な道筋となっていました。
京都から稲荷~藤森~木幡を通り宇治へ。神明~久世~奈島(現・城陽市内)~井手~平尾~狛を経て「木津川の渡し」で木津川を越え、奈良に到達するコース。約1日の行程で、中間点は奈島でした。
木津川の渡しには「上の渡し」と「下の渡し」という、2つの渡し(舟)がありました。

西路

京都から巨椋池の西側へ下り、木津川を越えて田辺~下狛~祝園~相楽を通り奈良へ向かっていました。

(絵がたり山城国一揆・文理閣参考)  

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更新日:2019年03月15日